樹 高 推定15m以上
幹 周 5.3m
撮 影 H16年7月
東北巨木調査研究会の高渕会長が能代市の調査(未発表の発見があった)に訪れた際、見てもらおうと案内した美しいブナの巨木。
国道285号線を望める里山の丘にあるこの木は、たぶん全国の巨木ファンにもまだあまり知られていないものだ。
高渕会長によると、白神山地でもなかなかみられないサイズがこんな人里にあるのはめずらしいとのこと。
この木は古くから開けた北秋田市(旧鷹巣町)七日市の支郷、岩脇村にあり、このブナの根元に猿田彦がまつられていることからわかるように、今通る人もなくなった旧阿仁街道の道祖神であった。
森吉や阿仁、上小阿仁へ山越えしていく街道は、国道285号線が開通してその役目を終えたが、岩脇村の人たちによって守られ続けている。285号線がここを通っていたら今の姿で残されはしなかったかもしれない。
案内板には直径165cmとしかなかったため、会長に手伝っていただいて幹周を測ってみたところ、目通りのあたりから大きく枝が展開するため、5.5m~5.4m・・・控えめに測っての5.3mなら問題あるまいとした。
ブナの一本木としては、十和田で近年発見され有名になった、日本一の「森の神(青森県十和田市奥瀬 ) 6.01m」には及ばずとも、「白神のシンボル(秋田県藤里町 4.85m)」や、「津軽峠のマザーツリー(青森県中津軽郡西目屋村 4.65m)」、「くろくまのブナ(青森県西津軽郡鰺ヶ沢町 約5.4m)」といった有名なブナたちと肩を並べる巨木であることは間違いなさそうだ。
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2016年7月9日土曜日
2016年7月8日金曜日
智福愛宕神社の湯桶杉と権現杉 (岩手県奥州市江刺区藤里)
《湯桶杉》
樹 高 27m
幹 周 6.9m(現地案内板より)
《無名の大杉》※仮称「権現杉」
湯桶杉と同じぐらいの幹周に見える
撮 影 H16年6月
▲湯桶杉 ▲権現杉
案内板には、「昔、太い枝で湯桶を作ったことによる呼び名という」とあり、境内の裏にもまた巨木があることが書かれている。
目通りよりも上部で大きく枝が張り出し分かれているので貫禄がある。分かれる位置が低ければ白山杉のような木になっていたのかもしれない。
ここに四ツ穴灯籠があった。岩手県には灯籠の火袋が「月」「日」「三ツ穴」となった三ツ穴灯籠は多いが、四ツ穴は珍しいと思う。三ツ穴は三光信仰だと思っていたが、四ツ穴は何を思って造られたのだろうか。
▲藤里毘沙門堂 ▲珍しい四ツ穴灯籠
ここが神仏習合していた時代にはどういう扱いだったのかは知らないが、神社だったのならば拝殿の位置にある藤里毘沙門堂の裏は一段高くなっており、本殿のあったろう場所に愛宕神社があり、向かって右に新しい宝物庫が見える。「木造兜跋毘沙門天立像(国重文)」他の宝物が厳重に保管されているのだろう。
▲蔵王権現 ▲愛宕神社 ▲宝物庫
愛宕神社の左脇に並び立っているのが蔵王権現堂で、それを守護するように湯桶杉に負けない7mほどはあろうかという大杉がそびえている。名前は特にないようだ。無名のままにしておくのは惜しい杉なので、ここは仮に「権現杉」と呼びたい。
樹 高 27m
幹 周 6.9m(現地案内板より)
《無名の大杉》※仮称「権現杉」
湯桶杉と同じぐらいの幹周に見える
撮 影 H16年6月
▲湯桶杉 ▲権現杉
湯桶杉
山上の愛宕神社(藤里毘沙門堂)を参道の下から見上げると、入り口の鳥居の後ろに「智福愛宕神社の大カヤ」と並んでそびえ立つ巨大な木の頭が笠のように見える。「湯桶杉」である。案内板には、「昔、太い枝で湯桶を作ったことによる呼び名という」とあり、境内の裏にもまた巨木があることが書かれている。
目通りよりも上部で大きく枝が張り出し分かれているので貫禄がある。分かれる位置が低ければ白山杉のような木になっていたのかもしれない。
ここに四ツ穴灯籠があった。岩手県には灯籠の火袋が「月」「日」「三ツ穴」となった三ツ穴灯籠は多いが、四ツ穴は珍しいと思う。三ツ穴は三光信仰だと思っていたが、四ツ穴は何を思って造られたのだろうか。
▲藤里毘沙門堂 ▲珍しい四ツ穴灯籠
権現杉(※仮称)
ここが神仏習合していた時代にはどういう扱いだったのかは知らないが、神社だったのならば拝殿の位置にある藤里毘沙門堂の裏は一段高くなっており、本殿のあったろう場所に愛宕神社があり、向かって右に新しい宝物庫が見える。「木造兜跋毘沙門天立像(国重文)」他の宝物が厳重に保管されているのだろう。
▲蔵王権現 ▲愛宕神社 ▲宝物庫
愛宕神社の左脇に並び立っているのが蔵王権現堂で、それを守護するように湯桶杉に負けない7mほどはあろうかという大杉がそびえている。名前は特にないようだ。無名のままにしておくのは惜しい杉なので、ここは仮に「権現杉」と呼びたい。
智福愛宕神社の大カヤ (岩手県奥州市江刺区藤里)
樹 高 21m
幹 周 5.2m(現地案内板より)
撮 影 H16年6月
幹 周 5.2m(現地案内板より)
撮 影 H16年6月
ここは愛宕神社よりも、「藤里毘沙門堂」という呼び名で知られているかもしれない。
境内に7m級の大杉が2本もあるため、これほどの幹を持ちながら主役ではない。並び立つ「湯桶杉」に遠慮したのだろうか、横に展開せず、負けまいと競って上に伸びたようで微笑ましい。
実は当初ここに寄る予定はなかったのだが、胆沢城址にある「鎮守府八幡宮の杉」を見た折、宮司さんから、
「これより大きな杉が江刺区の「戸隠神社」にある」
と教えていただき、そこに向かう途中で、たまたま有名な藤里毘沙門堂が近くにあることを知り「木造兜跋毘沙門天立像(国重文)」を観ていこうかと思ったのであった。
前々日に、東北巨木調査研究会の高渕会長と「三頭木信仰」について車中で話した際に、シヴァ神や毘沙門天の「三叉戟」の話も出たので、毘沙門天が気になっていたのだ。(今は「三頭木」のルーツについて気づいたことがいくつかあるが、それはまた後の機会に)
岩手県は、密教では北方を護るとされた毘沙門天(四天王の中では多聞天)の宝庫と言ってよい。
三熊野神社の成島毘沙門堂(花巻市東和町)には4.73mと日本一の大きさを誇る「兜跋毘沙門天立像(国重文)」、立花毘沙門堂(北上市立花)の「木造毘沙門天立像(国重文)」、奇祭「黒石寺蘇民祭」で有名な黒石寺(奥州市水沢区)の「木造四天王立像(多聞天=毘沙門天)」、坂上田村麻呂が108体の毘沙門天を祀ったといわれる達谷窟毘沙門堂(西磐井郡平泉町)、そしてここ藤里毘沙門堂の「木造兜跋毘沙門天立像(国重文)」が一日で見て回れる範囲内にあるのだから。
しかしやはり予約が必要だったようで、無人のため宝物庫も開かず、残念ながら観ることはかなわなかった。
ところが・・・まったくノーマークだったこの場所に見逃せない巨木が3本もあったのである。もし知っていれば今回の旅の初日に大迫町の巨木の里と「戸隠神社のスギ」もあわせても十分に回れる範囲内だっただけに、東北巨木調査研究会のみなさんには残念なことであった。
2日前に大迫町の「上住郷の榧(かや)」を見た印象が、いくつもの幹が根本近くから展開し広く枝を広げる木だったのに、ここはまったく杉のような一本の立木だったので、樹種が違うのではと感じた。
杉の7m級も大関クラスで見事だが、希少価値からいうとこちらのカヤの方が上かもしれない。それだけに、木材などを立てかけられて、管理者におざなりに扱われている姿はちょっとかわいそうに思えた。
春の巨木探索会2016
▲大カツラ群を探索すべく山に分け入り、幹周を計測するメンバー
6月4日:里の巨木(岩手県花巻市)
6月4~5日の2日間、東北巨木調査研究会のメンバーによる「春の巨木探索会」があり参加。・子安地蔵尊かつら(花巻市上根子) 幹周19m(H9計測の現地案内板)
【巨木の里(花巻市大迫町内川目)】
ここの〈早池峰国定公園マップ〉 によると、この地域にある市の天然記念物5本の巨木のうち、「稲荷神社の千本桂」「白山杉」「山祇桂」「才ノ神のサワラ」の4本しか見当たらないが、「上住郷のカヤ」はこの案内板の斜め向かいにあった。・内川目 稲荷神社の千本桂(花巻市大迫町内川目)幹周※30m(「人里の巨木たち」)
・白山杉(花巻市大迫町内川目久出内)幹周約11.5m(H1 現地案内板)
・山祇桂(花巻市大迫町内川目久出内)幹周(株周)約20m(H11 現地案内板)
・才の神のサワラ(花巻市大迫町内川目久出内)幹周 5.8m(「人里の巨木たち」)
6月5日:奥羽山脈の探索
・北奥羽の巨木群(主としてカツラ) 幹周10m~20m。場所は現在非公開。故あって、場所を特定できるようなものなど公開できない写真等もあるのが残念だが、大丈夫そうなところを探してみる。
とにかく数10m間隔で幹周10m~15mのカツラがあり、中には20m前後のものも幾つかあった。カツラがすごいので他の木をないがしろにしてしまうほどであった。そのうち10m以下のものはいちいち見ている余裕がなくなってしまった。
▲熊が剥いだと思われる爪痕 ▲山の恵み
一生分のカツラを見てしまったような気さえする探索であった。
・【枯死】一本木のコブニレ(奥州市水沢区佐倉河字一本木)幹周9.3m(「人里の巨木たち」)