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2016年11月9日水曜日

光林寺の巨木たちと-三又カシワ(三頭木)の謎(岩手県花巻市石鳥谷町中寺林)


光林寺に近づくと、まず2本の巨木が目を引く。他の巨木サイトでも紹介されているスギとサワラである。
しかし、ほとんどの方が裏の庭園にあるカシワを見逃しているのは残念に思う。

サワラとスギの実際の幹周はもっと細いように見える。目通幹周ではないのだろう。しかし、このスギの根張りはその胴に不釣り合いなほどどっしりと広がり、美しい。
サワラの樹勢はあきらかに衰えていて、元気なスギとは対象的である。

光林寺のスギ
樹  高 約32m
幹  周 6.85m
樹  齢 推定約300年
撮  影 H16年11月
花巻市指定天然記念物

光林寺のサワラ
樹  高 約32m
幹  周 6.6m
樹  齢 推定約300年
撮  影 H16年11月
花巻市指定天然記念物


光林寺の三又カシワ(仮称)※三頭木
樹  高 10~15m程度
幹  周 不明(目通1.3mを測ることは無意味)
樹  齢 不明(本堂裏の庭園を作った際に植えられたと思われる)
撮  影 H16年11月


さて、ここから北に10kmほどしか離れていない隣の紫波郡紫波町にある勝源院には、国指定天然記念物の銘木勝源院の逆さガシワがある。
勝源院の逆さガシワ
光林寺のカシワは、あの逆さガシワから株分けした子なのではないだろうか。

想像にすぎないのだが、現在の光林寺と勝源院の本堂裏にある2本のカシワは、一般的なカシワという木の形状とあまりにかけ離れていて、盆栽のような高い園芸技術で形が整えられた巨木ではないかと思っている。
しかも、スケールの差こそあれ、共に本堂裏の庭園の池に面して配置されていること、地を這いながら立ち上がる臥龍松のように形造られていることなどから、この2本は同じ庭師が手がけたもののようである。

ただ、2本のカシワには決定的に異なる点がある。
勝源院の逆さガシワは、1本は現在失われているが4本の枝を持ち、『光林寺の三又カシワ』意図的に三頭木にこしらえられたように見えることだ。

岩手県が、全国的に知られる毘沙門天信仰のメッカであること、東北巨木調査研究会の高渕会長が研究している『三頭木信仰』で、三頭木はシヴァ神や毘沙門天の「三叉戟」を表しているのではないかと推測していることについては「智福愛宕神社(藤里毘沙門堂)の大カヤ」(奥州市江刺区藤里)のところで触れた。

「木造兜跋毘沙門天立像(国重文)」のある『藤里毘沙門堂』をはじめ、三熊野神社の『成島毘沙門堂』(花巻市東和町)には4.73mと日本一の大きさを誇る「兜跋毘沙門天立像(国重文)」がある。
ほかにも『立花毘沙門堂』(北上市立花)の「木造毘沙門天立像(国重文)」、奇祭「黒石寺蘇民祭」で有名な『黒石寺』(奥州市水沢区)の「木造四天王立像(多聞天=毘沙門天)」、坂上田村麻呂が108体の毘沙門天を祀ったといわれる『達谷窟毘沙門堂』(西磐井郡平泉町)など、枚挙に暇(いとま)がないほどである。
 勝源院は境内が東西にのびているため、逆さカシワのある本堂裏の庭園は本堂に対して西にあるが、ここ光林寺は南北に配置されており、三又カシワは神木であるスギやサワラの北、本堂の鬼門に配されていることになり、北方を守護する毘沙門天の性格にも合致している。
庭師はそれを意識して三頭木に仕上げたように考えられる。

また、本堂の北北西、戌亥(いぬい)の方角には『熊野證誠殿』を護法神として配している。
熊野證誠殿
熊野といえば熊野所権現に本足の八咫烏(ヤタガラス)と、やはり「」に関連が深い社だが、特に『熊野證誠殿』について、熊野本宮大社の公式サイトではこう述べられている。

「第十代崇神天皇の御代、旧社地大斎原の櫟(いちい)の巨木に、三体の月が降臨しました。天火明命の孫に当たる熊野連(くまののむらじ)は、これを不思議に思い「天高くにあるはずの月が、どうしてこのような低いところに降りてこられたのですか」と尋ねました。すると真ん中にある月が「我は證誠大権現(家都美御子大神=素戔嗚尊)であり、両側の月は両所権現(熊野夫須美大神・速玉之男大神)である。社殿を創って齋き祀れ」とお答えになりました。この神勅により、熊野本宮大社の社殿が大斎原に創建されたと云われています。」

熊野は死者の参る国、黄泉を治めたとされる素戔嗚尊(スサノオ)の国である。また戌亥の方角は鬼の浄土といわれ、御伽草子の『一寸法師』でも退治された鬼が、
「極楽浄土のいぬゐの、いかにも暗き所へ、やうやう逃げにけり」
と戌亥の暗い場所に逃げ帰ったように、室町時代あたりには鬼が逃げ去る方角として認識されていたことがわかる。

つまり、鬼がやってくる艮(うしとら)の鬼門を三頭木のカシワ(毘沙門天)が守護し、さらに鬼の浄土である戌亥の方角に『熊野證誠殿』(スサノオ)を置き悪鬼を導くという、神仏が習合した時代ならではの護法のシステムとなっているのだ。

といろいろ述べてはみたが、これはあくまでこじつけである。ゆるされよ。
勝源院の逆さカシワ』は次回紹介したい。

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