伊手戸隠神社の「戸隠杉」(岩手県奥州市江刺区伊手)

樹  高 21m
幹  周 5.2m
樹  齢 推定700年(現地案内板より)
撮  影 H16年6月


 伊手戸隠神社と、名称に「伊手(いで)」を冠したのは、ここから遠くない金ケ崎町の鳥海柵にほど近い場所にも、寂れて小さいながら同名の「戸隠神社」があったので、それと区別するためである。
 東北で「戸隠神社」はあまりみかけない。天の岩戸をこじ開けた力の神「手力雄命(タヂカラオ)」を祀る。
 長野の「戸隠神社」と同様に歯痛平癒の「歯神」ともされているのは、重量挙げなどもそうだが歯がしっかりしていなければ力が入らないことと関係があるのだろうか。

 この地には「伊手(いで)川」がある。
以前から「飯豊(いいで・いいとよ)」地名について調べていたので、「伊手」は「飯豊(いいで)」と同じ語源ではないのかと思っていた。

 同じ岩手の遠野市にある早池峰山の麓の早池峰神社近くの「小出(おいで)」や、山形・福島・新潟三県にまたがる飯豊連峰などもそうだが、「イイデ」地名を実際に訪ね歩いてみると、「梨木」地名(梨木平など)もそうだが水の湧き出る場所につけられていることを確信しつつある。

 青森県三戸郡田子町にある飯豊集落には「飯豊梨ノ木」という地名もあり、その裏山の湧水地に山神と不動尊が祀られていた。
 秋田県大館市の巨木「出川のケヤキ」の「出川」は、字面から「でがわ」だと思われているが、実際に現地に住む者は出川を「いでがわ」と呼んできた。
 また、東京都府中市にある、「くらやみ祭」で有名な武蔵総社「大國魂神社」で、神輿が鳥居をくぐり出発する際には「お出で」と宣(のたま)う。

 この伊出戸隠神社の鳥居の脇には九頭龍大神を祀る水場があり、案内板に、かつてここに「飯豊(いんで)館」があり、「伊出川」の語源がやはり「飯豊」であることについて触れられていた。
 「イイデ・オイデ」地名には古来、湧き出る水とその神を迎える深い意味合いがこめられていたことが察せられる。

東北の数多くの神社がそうであるように、この神社も坂上田村麻呂創建とされているが、ここから遠くないところには、実際に田村麻呂が802年(延暦21年)に築いた鎮守府「胆沢城(いさわのき)」があることから、ここの田村麻呂伝承に関してはあながち嘘だともいいきれない。 
 そもそもここに大杉があることを教えてくれたのは、午前中に行った隣の金ケ崎町の「鎮守府八幡宮」(「姥杉」がある)・・・胆沢城のあった地にある由緒ある神社の宮司さんなのであった。
 胆沢城に全国各地から集められた人々が駐屯していたことは古書にも書かれており、江刺郡の郷名として「信濃郷」が見える。岩手県神社庁によると、
「胆沢城築城にあたり、諸国から集めた浪人の中に、信濃(長野県)出身の人々が故郷の戸隠神を勧請したものといわれる。古代の江刺郡4郡で、伊手村は信濃郷に擬定されている」とある。
 信濃から来た人々がここに「イイデ」地名を持ち込んだのかもしれない。

 当時、胆沢郡と江刺郡までが朝廷の支配の及ぶ最北であったことから、これより北がまさに蝦夷の国であった。


長い階段を登ると、まず拝殿に向かって左側に見える巨木が「戸隠杉」である。上部で二股に分かれ、堂々とそびえていた。

この「戸隠杉」に智福愛宕神社(藤里観音堂)の2本のスギとカヤ、それに巨木の里(上住郷の榧内川目 稲荷神社の千本桂白山杉山祇桂才の神のサワラ)をまわるコースは、巨木案内をするにはうってつけだろう。

 それにしても、平成の大合併で誕生した「奥州市」という地名については抵抗を拭えない。奥州平泉の人気に乗じて観光の集客を期待して名付けたのだろうか?
 しかし、「州」も「市」も行政区分のことなので、いわば「岩手県市」と言うようなものであって失笑を禁じ得ない。

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