幹 周 19m(H9 計測の現地案内板より)
撮 影 H16年6月
「子安地蔵尊かつら」は、家一軒がすっぽりとその陰に入るほどに大きい。
岩手県は、遠野市小友町大洞の「千本カツラ」や軽米町晴山の「千本桂」、久慈市「端神(はしかみ)の大桂」、二戸郡一戸町の「小井田の千本桂」などカツラの巨木が数多い。この木も、里にあるカツラとしては屈指のものだろう。
主幹はすでに枯れ中心部は洞状になり、ひこばえ(若木)で形成されているため、一本木としての評価は与え難いが、樹勢もよく、穏やかな田園地帯の中で居心地良さげである。
木に寄り添う小さなお堂の扁額は「桂木地蔵堂」。
案内板によると、慈覚大師円仁がここに地蔵菩薩を安置した際に植えたカツラとのことだが、円仁開祖の伝承は東北に数多い。事実とすれば約1200年も前の話である。
限りなくひこばえを生み続けるこのカツラの子だくさんにあやかろうと、ここに「延命地蔵尊」をまつってきた地域の人たちの気持ちがつたわってくる。
岩手県は毎年のように冷害にさらされ、飢饉と闘い続けてきた土地柄だ。死産も多かったろう、成長できずに亡くなる子も多かっただろう。
今の感覚では理解し難いことだが、昔は親より先に亡くなった子は「かわいそう」と思う以前に、先祖の供養ができない「親不孝」であるとみなされた。
成長できなかった子や水子(親の顔を「見ずの子」か)たちは、三途の川の河原で供養のために石を積ませられるのだという。その積んだ石を崩しに鬼が来る。地蔵菩薩はあの世との境で、その鬼から子どもたちを護るとされた。
地蔵はそうして集落の境や辻に、塞の神(才の神・妻の神・幸神)として置かれ、天つ神を道案内した猿田彦神(道祖神)とも習合し、悪鬼や疫病の侵入から守る役目をも担うようになっていった。
また済州島のトラハルバンなどもそうだが、お地蔵さんはその形状から、古代から信仰されてきた「陽石(男根)」の信仰ともつながり、失われていく命に多産で対抗する希望となった。日本神話にはその信仰のもとになったかもしれない話がある。
『男神イザナギと天御柱(陽のシンボル)を回りながら、たくさんの神を産んだ女神イザナミは、最後に火の神(火之迦具土)を産んだ際に女陰(ほと)を焼き死んでしまう。
イザナミを忘れられないイザナギは黄泉の国まで迎えに出かけるが、見るなの約束を破り、変わり果てたイザナミの姿を知ってしまい、イザナミと黄泉の国の魔物たちに追われることになる。
イザナギは、黄泉比良坂まで来ると、あの世とこの世の境に大岩(千引岩)を立て追っ手をさえぎった。
悔しいイザナミは、「あなたの国の人を毎日1000人黄泉へつれて来よう(殺そう)」という。
イザナギは、「ではわたしの国では毎日1500人生ませよう」と言った』
この境界の巨岩(陽石)の前で、陰と陽をつかさどった夫婦神はそう誓い別れたのであった。
お堂の脇には、そういう古代からの思想を裏付けるように、女陰のような形の「陰木」が供えられていた。
お堂の中をのぞいてみると鞘堂になっていて、中に祠があった。右脇に歌が添えられているのが見える。
「のりのふね いるかいずるか このつでら わがみをのせて たすけたまえよ」
津寺とは、今昔物語にも出てくる四国の「津照寺(しんしょうじ)」のこと。
高知県室戸市室津町にあり、四国八十八ヶ所霊場の第二十五番札所でもある「津寺」の御詠歌がこの「法の舟 入るか出るか この津寺 迷ふ吾身を のせてたまへや」である。
空海が室津を訪れたとき、宝珠に似た山の形に感じ、やはり延命地蔵菩薩を刻んで開創したといい、船の舵(楫)をとり嵐から守ったという伝承から、楫取(かじとり)地蔵と呼ばれているという。
この大樹の形も、遠くから眺めてみると宝珠のような丸みを帯びて見えた。
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