天恩山 五百羅漢寺の「獏王(白澤)」
撮 影:2016.7月
現在ここは浄土宗の単立寺院だが、かつては第三の禅宗「黄檗宗」の寺であった。今も隣には黄檗宗の「永寿山 海福寺」があり、隠元国師の像が安置されている。
京都の深草にある黄檗宗「石峯寺」には、伊藤若冲の墓や彼が下絵を描いた五百羅漢があるが、今は撮影禁止となってしまった。
ここ目黒の五百羅漢寺の羅漢堂には松雲元慶が托鉢で資金を集め一人で彫り上げた536体のうち、300を超える羅漢像が現存しているが、やはり撮影は禁止されている。観ることはできた。
どうしても観たいならば、「東京都文化財情報データベース」にある写真を見るか、世田谷山観音寺(世田谷区下馬)に、ここにあるはずの羅漢像九躯があり撮影が許されているので、そちらに行くのがいいだろう。
しかし、今回の目的は羅漢ではなく、この羅漢堂の入り口にある「獏王」である。
獏とはあの悪夢を喰らうとされた空想の動物だが、中国でもこれが「獏」という決定的な姿は決まっていない。強いていえば象ではないが鼻のちょっと長いこういう姿で描かれることが多いのではないか。
水木しげるロードの獏像(Wikipediaより) |
ところが、松雲元慶が彫ったという五百羅漢寺の獏はどうみても「獏」ではない。「白澤(白沢-はくたく)」のように見える。
名も獏ではなく「獏王」となっていて、どうやら聖人の前に現れて厄災を教え危難を避ける聖獣「白澤」は、悪夢を食べる獏の中の王であるということらしい。
それにしてもこのデザインは、顔と左右の腹部に三つずつ、計九つの目がなければ、まるで諸星大二郎の『孔子暗黒伝』に出てきた「開明獣」のようである。
これらの妖怪(厳密には違うが)たちは、『山海経』や『和漢三才図会』などに描かれたキメラである。
鳥山石燕 『今昔百鬼拾遺』の「白澤」(Wikipediaより) |
〈案内板〉獏王(白澤)像
「獏は、人間の悪い夢を食べ、善い夢を与えてくれる動物であると、云い伝えられています。人面牛身虎尾で、額と腹の両側に各三個ずつ、計九個の眼があります。
日本では、大晦日の夜、善い夢を見るために、帆に獏の字や絵が描かれた宝船の絵を、枕の下に敷いて眠る風習がありました。
『嬉遊笑覧』には「白澤は獏なり」とあり、『獏』と中国の神獣である『白澤』は同じものと考えられていました。
この獏王像は、松雲元慶禅師の作で、もとは本尊の後ろに「護法神」として安置されていました。」
獣身人面という点では「くだん(件)」にも似ているかもしれない。スフィンクスも同じたぐいのものであろう。
鳥山石燕(1712年1788年)が描いた有名な白澤図以降であれば、二本の角もあるはずなのだが、松雲元慶は石燕の生まれる2年前に入滅しており目にしたはずがない。
そこで白澤の角は牛のように頭にあるという先入観などにとらわれず背に生やしており、それが斬新さを際立たせている。
この「獏王」で注目すべき点はその扱いで、「もとは本尊の後ろに「護法神」として安置され」という点であろう。
まずこういうものが護法善神とされる例を知らない。浄土宗に変わってから本尊は「阿弥陀如来」に替えられたようだが、造られた時は禅宗の黄檗宗なので、元々あった「釈迦如来及両脇侍像 3躯」が本来の本尊だろう。
釈迦如来ならば、脇侍に獅子に乗った文殊菩薩と牙のある像に乗った普賢菩薩があるはずだが、その本尊の後ろに安置されたということは、後戸に置かれたということで、護法神というよりは「後戸の神(宿神)」として置かれていたととらえるべきだからだ。
ともあれ、こうしたキメラ(合成獣)のような幻想動物は、何度か日本の古書に登場している。平家物語で源三位入道頼政が射た「鵺(ぬえ)」や、太平記にある「以津真天(いつまで)」などである。
「鵺」と「以津真天」は同じものなのではないかと思っているが、過去に京都や大阪で鵺や妖怪退治の伝説地をいくつか取材しているので、いずれ紹介していきたいと思う。
羅漢寺への入り口にある松雲羅漢像
庚申塔(青面金剛と三猿) |
五百羅漢寺入り口の不退法尊者像は宇宙人のようだ |
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