幹 周 9.3m (「人里の巨木たち」より)
撮 影 H16年6月
この木はハルニレだが、その奇怪な形状からコブニレと呼ばれている。いや、「いる」というのは正しくない「いた」だ。
東北巨木調査研究会の同行者によると、数年前に来た時にはまだ元気があったそうであるが、残念ながらすでに枯れていた。
鳥居に掛かって支えられていたという主幹が折れ、折れた幹と株の後方は地上2mほどを残し取りのぞかれ、大きく口を開けた残りの株の部分だけの無残な姿であった。
壮絶である。
数値の参考にさせていただいた「人里の巨人たち」のサイトの写真は2006年のもので、まだ元気そうに見える。約10年で急激に衰えたのだろう。
鳥居の扁額には「山神社」とあった。後方に近隣の石碑がまとめられており、「金華山」「庚申」「山神◯?」「雷神」など読みとれた。主役を失った役者たちがオロオロしているようである。
約800年という推定樹齢が正しいとすれば、奥州藤原氏が栄えた時代から、ずっとこの地で命をつないできたということである。
ここは平泉や胆沢城からも遠くない場所なので、もしかしたら兵どもが駆け抜けるのをのを見たかもしれない。しばしの日陰を彼らにも分け与えたのかもしれない。
長く生きた樹木とはそういうものである。
そこにとどまって動くことはなくとも、どんな動物もたどりつけない時の川を、ただそこに居ながらにして流れ下り、風雨や四季の移ろいをただ甘受し、おのれが時間そのものであるかのように、ひとつ場所に禅を組み庵を結び続けてきた賢者なのである。
この地の字名「一本木」もまさしくこの木に由来した地名であった。親も、その親も、そのまた親も見守ってきた地域のシンボルを失った人たちの悲しみはいかばかりであろうか。
「ふるさと名所50景」の碑が泣いていた。伐られた幹の穴は、断末魔の声をあげ天に向かって吠えた獣のあぎとのように見えた。
東北巨木調査研究会「2016年 春の巨木探索会」はここで無事終了したが、最後のコブニレとは悲しい別れとなった。
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