幹 周(株周)約20m(H11 現地案内板より)
撮 影 H16年6月
※主幹が枯れた、ひこばえ(若木)の集合樹
白山杉と隣り合うように近い。せっかく巨木の里としてアピールしても、どちらも周囲の下生えや雑木の手入れが行き届いていないため、せっかくの巨木の姿がよく見渡せるポイントが少なく残念に思った。株回り20mの面影はない。
幹に木材が立てかけられており、神木のようには見えず悲しくなった。おそらく信心深い時代にはもっと大切にされてきたのだろう。里山の信仰の衰えをも感じさせる場所である。
このカツラも同じ内川目の「稲荷神社の千本桂」のように主幹が枯れ、衰退の一途をたどっているように見える。
山祇桂というからには、大山祇神をまつった社があるのだろうと思ったらそのとおりで、金毘羅社と並んであった。
大山祇(オオヤマヅミ・オオヤマツミ)は、大山積や大山津見とも書き、最も有名な山の神である。
「子安地蔵尊かつら」でもふれた、イザナギが死ぬ原因となった火の神(迦具土神)を、怒ったイザナギが斬り殺した際に、その死体からたくさんのヤマツミの神が生まれている。
火から山(土)が生まれているというのは、五行思想でいうところの相生で、厄災が結果的に良い方へ向かったことを暗示しているのではないだろうか。
この神は、2人の娘を天照大神の孫で、天孫降臨の主役ニニギノミコトに嫁がせるが、ニニギは美しいコノハナノサクヤヒメのみをめとり、醜い姉のイワナガヒメを送り返した。大山祇神は、双方を妻とすれば栄えも長寿も得られただろうにと嘆いた。
このニニギの曾孫が初代天皇である神武天皇ということになっている。
100歳以上だった皇室の寿命が短くなっていった原因は、醜いが長寿をもたらすはずだったイワナガヒメを得られなかったことによるとされている。
ここでも美しさと醜さは長寿と対になっている。
マタギの山の神は醜い女神であるため、さらに醜いオコゼを供えるという風習がある。女神が嫉妬するため、多くの山はかつて女人禁制とされた。
嫁に行かなかったイワナガヒメのことなのかもしれない。
山祇桂や白山杉も、醜い山の神への厚い信仰から長寿の祝福を受けてここまで生きてきたのだろうが、今や信仰という糧(かて)を失いつつあるのかもしれない。
いつまでも元気な姿を見せてくれることを願うばかりである。
0 件のコメント :
コメントを投稿